朝日が昇るとき、富士山がほんのりと赤く染まることがあります。
その姿は「赤富士」と呼ばれ、昔から縁起の良い光景として語り継がれてきました。
ではなぜ、この赤く染まった富士山が特別視され、吉兆の象徴として大切にされてきたのでしょうか。
その理由を歴史や文化に触れながら、赤富士が持つ意味を灯り絵アーティスト祐彩(ゆうせい)の視点でお伝えしていきます。
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赤富士を語る前に、まず富士山そのものの存在を見てみましょう。
日本一高い山である富士山は、古来より「霊峰」として人々の信仰の対象でした。
その美しい姿は、日本神話や古典文学にもたびたび登場します。
万葉集にも富士を詠んだ歌があり、山そのものが神格化されてきました。
火山としての富士山は噴火を繰り返してきましたが、それも人々にとっては「畏れ」と「恵み」を同時に授ける神の働きと捉えられてきました。
大地を肥やす火山灰、そして噴火の迫力。そのすべてを、自然の力とともに生きる象徴として感じてきたのです。
この「特別な山」が朝日に染まる瞬間、そこに神秘的な意味を見出すのはごく自然なことだったと思われます。
富士山が赤く染まるのは、主に夏から初秋の早朝に見られる自然現象です。
澄んだ空気、太陽の位置、気象条件がそろったときだけ姿を現すため、実際に出会えるのはとても稀。だからこそ「赤富士を見られたら幸運」と言われるようになりました。
また、赤という色には古来から「生命力」「繁栄」「魔除け」の意味が込められています。
富士山という大いなる存在が赤く輝く様子は、まさに大地から湧き出るエネルギーの象徴として映ったのです。
江戸時代には、浮世絵師・葛飾北斎が『富嶽三十六景』で「凱風快晴(がいふうかいせい)」通称「赤富士」を描き、その姿は庶民にとっても「一度は手にしたい縁起の良い絵」として広まりました。
北斎の赤富士は、今もなお日本美術の代表作として世界中に知られています。
赤富士を実際に見られる人は限られています。だからこそ、人々はその姿を絵に描き、家に飾ることで「吉兆を身近に置きたい」と願いました。
江戸の庶民にとって、北斎の赤富士はただの風景画ではなく、「幸福の象徴」や「未来への希望」そのものでした。
同じように現代でも、赤富士の絵には「前向きに生きたい」「力強く一歩を踏み出したい」という人々の気持ちが重ねられています。
絵を眺めることで心にエネルギーが灯る、そんな意味合いも、赤富士の魅力のひとつです。
現代の暮らしにおいても、赤富士の絵は特別な意味を持ち続けています。
その背景には、日本人が自然を敬い、目に見える景色の中に「吉兆」を重ねてきた文化があります。
僕たちが赤富士の絵を眺めるとき、そこには単なる風景以上の物語が宿っています。
それは、「自然とともに歩んできた日本人の祈り」そのもの。
赤富士は、偶然の気象条件が生み出す自然現象であり、同時に古来から「幸運の兆し」として愛されてきた象徴です。
富士山という霊峰の姿に、赤という力強い色が重なったとき、人々はそこに「吉兆」を見出しました。
そして現代でも、赤富士の絵はただ美しいだけではなく、「希望」「力強さ」「守り」といった意味を込めて飾られています。
あなたの部屋に一枚の赤富士があったとしたら、きっと毎日が少しだけ前向きに、力強く映るはずです。